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かりゆし58 ボーカル前川真悟・母(アンマー)との絆が泣ける!

かりゆし58 ボーカル前川真悟・母(アンマー)
との絆が泣ける!



2016年10月6日
フジテレビ系
『奇跡体験!アンビリバボー』
怖くて強い!
女たちの決断!愛の衝撃人生3時間SPが
放送されます。


この番組では、
人気バンド「かりゆし58」の
ボーカル・ベースの前川真悟さんと
母との絆が特集されるようです。



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かりゆしり58というバンドを
ご存じでしょうか?


メンバーは
・前川真悟 (ボーカル、ベース)
・新屋行裕 (ギター)
・中村洋貴 (ドラムス)
・宮平直樹 (ギター)



メンバーの全員が沖縄県出身・在住。
「かりゆし」とは沖縄方言で
「縁起がいい・めでたい」という意味で、
「58」とは、
国道58号線のことを意味しているそうです。


このバンドの特徴は、
沖縄音階にロック、
レゲエをミックスしたサウンドに
心を打つというか、
心温かい歌詞が印象的です。



代表曲は、
「アンマー」「さよなら」
などがあります。







前川真悟さんは元不良少年!?




心温かい歌を歌う
ボーカル・ベースの
前川真悟さんには、
刺青(タトゥー)が彫られています。



前川さんは小学生時代、
勉強もスポーツも
トップだったそうですが、
どこか周囲と打ち解けない
ヤンチャな
一面もあったようです。


そして、
いつしか手のつけられない
不良少年と
なっていきます。


学生時代は、
ケンカや非行を繰り返して
いたそうです。


前川さんは、
明け方に帰っていることも
多かったそうですが、
いつもお母さんは、
学校に持っていくお弁当を
作ってくれていたそうです。


その後、
働くため職業安定所で
仕事を探していた前川さんは、
愛知県のトラック運送会社を
紹介してもらい働き始めます。


職場は、
ワケアリの過去を持つ年配の
運転手がほとんど。

仲間が飲み屋で話すのは、
昔のワル自慢ばかり。
そして、
次々と体を壊したり、
自殺や行方不明になったりと、
3年間で
15人もの人がいなくなったそうです。


そんな暗い状況の中、
今まで
どんなに母に優しくしてもらったか、
自分が温かい世界にいたのかを
気づいたそうです。




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前川真悟さんの音楽・メンバーとの出会いとは





不良少年だった前川さんは、
学生時代にバンドを組んでいました。


かりゆし58のギターの新屋行裕さんと
ドラムの中村洋貴さんは、
高校時代に知り合っています。

ただ、
高校時代は、
新屋行裕さんと中村洋貴さんは同じ
高校でしたが、

前川真悟さんは他の高校に通っていました。


その頃の前川真悟さんは、
新屋行裕さんと中村洋貴さんの組んでいる
バンドに入りたかったそうですが、

新屋行裕さんと中村洋貴さんは
拒んでいたそうです。

しかし、
新屋行裕さんと中村洋貴さんの組んでいる
バンドの練習に参加したり、
文化祭ライブで演奏に加わったことも
あったそうです。


並行して前川真悟さんは、
自身のバンドを結成し、
地元では名の知れたバンドにまで
なったそうですが、
あえなく解散。


その後、
前川真悟さんは
愛知県のトラック運送会社に
就職し、
新屋行裕さんと中村洋貴さんとも
離れ離れになってしまいます。







前川真悟さんと 新屋行裕さん・中村洋貴さんの再会





愛知県のトラック運送会社に
就職した前川真悟さんは次第に
人生に危機感を感じます。


そして、
音楽で身を立てようと思い、
運転手を続けながら貯金をし、
音楽専門学校への入学準備を始めたり、
作曲もして、
自宅で録音したり音楽で身を立てようと
活動を始めました。


その後、
地元に帰省しているとき、
新屋行裕さんと中村洋貴さんと再会し、
曲を聴かせてみたら、
「いいじゃん」という反応になって
自分達でバンドを始めようという話に
なりました。



新屋行裕さんは
東京の音楽専門学校を卒業するも、
プロにはなれず帰省中で、
中村洋貴さんも
働いてはいましたが、
将来に悩んでいる時期だったそうです。


「1年以内にプロになれなければ解散」と
いう期限を設け、
週5日、
深夜から朝までのスパルタ的な
バンド練習をしていたそうです。


1年という期限が迫るギリギリの頃、
現在所属しているレーベルから
契約の声がかかったのです。



しかし、
現実は甘くなく、
デビューミニアルバムの売れ行きは
大不振でした。


絶望した前川真悟さんは
自身の人生を振り返りました。


脳裏に浮かんだのは、
デビューアルバムを自腹で100枚も買い、
知人に配ってくれたり、
ワガママな生き方をしてきた自分を、
ずっと見守り続けてくれた母。

県外ツアーでお金がないときに、
封筒にお金を入れて応援してくれた
中村さんのお母さんの姿も浮かび、

「どうせ最後なら、
自分達のための曲ではなく、
メンバー全員の母親のための曲をつくろう」と
母への思いを込めてできたのが、
「アンマー」という歌でした。


アンマーとは沖縄言葉で母の意味です。


「アンマー」は心温かい歌詞が話題となり、
ヒット曲となりました。



その後、
サポートメンバーだった
同郷の宮平直樹さんも
ギタリストとして、
かりゆし58に正式加入し、
現在は4人で活動しています。



母親の子供への愛はどこまでも
深いですね。



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